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『 202 』2014

―現在制作しておられる作品・活動内容、またはご職業について詳しく教えてください。

 

 

絵画作品(主に油彩)を制作し、自分の作品を取り扱って頂いているギャラリーが企画してくださる展覧会などで作品を発表・販売しています。

絵画教室などで教える仕事もしていて、広島市立大学でも夏の公開講座の時などにアシスタントの仕事等をやらせて頂いています。

 

この作品は、2014年のアートフェア東京などで発表した作品「202」1620×1303mm(F100号)パネルに白亜地、油彩です。

 

 

 

―大学時代についてお聞きします。どのような大学生活を送りましたか。

 思い出に残るエピソードなどがございましたら是非教えてください。

 

 

僕が広島市立大学に来たのは大学院からで、大学は実家がある富山県の隣県の新潟県にある大学でした。そこは第一志望の大学ではなく、しかも当時はデザイン科しかない大学で(僕が卒業後に美術学科も開設されましたが)、元々、絵を描くのが何より好きだった僕はある意味、妥協してそこに入学しました。しかし、そのような環境の大学に進んだ事で、抑えようとしていた絵を描きたい・絵描きになりたいという気持ちが逆に猛烈に強くなってしまい、一時期は退学して他大学を受験し直そうとも考えましたが、「デザインを学ぶのも無駄じゃないから、とにかく卒業しろ。そんなに絵描きになりたいなら、大学院でそっちの方向に行ったらどうか」という周囲からの助言を受け入れて、大学のデザインの課題もこなしつつ、空いた時間に必死に絵を描き続けるという大学生活でした。

広島市立大学の油絵専攻には、自分が好きだった具象的・写実的な作品で知られる先生がたくさん教えておられたので、大学院を受験し、何とか合格して進学する事が出来ました。偶然ですが、僕が大学院の1年生の年が野田弘志先生が定年退官される前の最後の年で、2年生の年からは磯江毅先生が着任されて、両方の先生に教わる事が出来ました。

当時から先生方に教わった事の中には、自分の正直な気持ちとして納得出来る事・逆にそうでない事も多々ありましたし、現在の僕の作品の方向性は両先生方とは異なってきていると思いますが、それでも両先生方から教えを受けられたのは貴重な経験でした。

また、僕と同期の7期生は優秀な学生が多い強者揃いの学年だったので、大学院から入ってきた半分よそ者の自分は、置いていかれないよう必死でしたが、そのような環境で切磋琢磨して学べたのも良かったです。

卒業制作『 鏡 』2005~2006

―卒業・修了作品について紹介してください。

 

 

タイトル 【 鏡 】 制作年 【 2005〜2006年 】

 

自分は大学院から広島市立大学に来たので、ここでは修了作品のみの紹介となりますが、この作品はM150号 (2273×1455mm)パネルに白亜地、油彩です。

大学院に入学後も、自分はまだまだ基礎が足りないと思い、院の2年間は、自分が本当に描きたいものというよりは、習作的な作品を多く制作していて、この修了作品もその流れで描いたものです。大学のアトリエ内で描いている自分を三面鏡に映して描いた自画像です。

大学院の2年だった2005年度は、大矢英雄先生の主導で始まった、被爆者を描く「光の肖像」展の第1回展の年でもあり、夏までは僕の同期生は皆、そちらの制作にも追われていて、本格的に修了制作に取りかかったのは秋以降だったと思います。

 

 

 

―卒業・修了作品展の経験は、その後の制作活動や現在のお仕事にどのような影響を与えていますか。

 

 

修了作品は、いま改めて見返すと未熟な部分も多々ありますし、描いた当時の自分の気持ちとしても正直そんなに「会心の作」という訳でもなく、とりあえず期限が来て描けなくなるまでひたすら悪戦苦闘した...という感じでした。

ですが、周りからの評価は悪くなく、直後に開催された公募団体展にも出品したところ、大きな賞を頂きました。

その団体展にはその後しばらく出品を続け、会員にも推挙されたのですが、描き続けていくうちに自分が本当に志向するものと、その団体展との方向性の食い違いが明確になってきたので、2011年に自らの意志で退会しました。

現在は、自分のやりたい事に大変理解を示してくださるギャラリーの元で作品を発表出来ていて、それによりアートフェア等にも出品させて頂けたり、そのギャラリーでの個展がきっかけになって2014年には大きな賞を受賞出来たりと、大変ありがたく思っています。

―卒業生として、後輩に向けてメッセージをお願いします。

 

 

前述したように、僕は大学時代には絵描きになりたいのにデザイン科の大学にいて、当時はそれで物凄く悶々とした日々だったのですが、そういう時期があったからこそ、反動で「絵描きになりたい」という気持ちがより強烈になりました。

そしてその為には自分から行動しないと何も始まらない、デザイン科しかない大学という環境だったので、積極的に公募展やコンクール等に応募する・いろんな所に出かけて多くの人と知り合うなど、行動力が身についたという意味でも、一見すると遠回りをしたようでも、決して無駄ではなかったと今では思います。

また、人間は自分がいる場所の価値に気づき難いもので、大学時代には正直あまり興味が持てなかったデザインの分野にも卒業後に興味が強くなったりもして、かつての同期生や後輩が東京のデザインの業界で活躍している様子を見聞きすると、刺激にもなります。

広島市立大学の大学院に来てから今に至るまでも、絵を描き続けていく上で何度も壁にぶち当たったり、くじけそうになった事もありましたが、それでも落ち込んでいるヒマがあるなら、とにかく自分が出来る事をやり続けてきたのが今に繋がっていると思います。

ありきたりのような言葉になってしまいますが、いろんなものを見て勉強する事も忘れずに、そして誰に何を言われても自分の気持ちに正直に・自分が良いと思えるものを強い気持ちを切らさずに追求して、やり続ける事が大事なのではないでしょうか。

 

 

 

―今後の展示予定また宣伝などがございましたらご自由に記載くださいませ。

 

 

自分の作品が「写実的な絵画」と言われる事に否定はしませんが、自分から声高に「写実」と言いたいとは今は思いませんし、現在、流行している写実絵画ブームのようなものには疑問も感じていて、距離を置きたいとも思っています。

自分の作品は個人的な感情や衝動が元になっているものが多いですし、その気持ちに素直に絵を描きたいと思って制作しています。

 

近々ではなく、しばらく先になりますが、次の個展などに向けて現在制作中ですので、随時、自分のウェブサイトやSNS等で告知していきます。

ウェブサイト http://www.tterabayashi.com

寺林 武洋 Terabayashi Takehiro

 

 

学生時代の専攻:(大学院)芸術学研究科絵画(油絵)専攻

大学院修了:2006年

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