『スケルトン』2009
―1現在制作しておられる作品・活動内容、またはご職業について詳しく教えてください。
大学内外の仲間とシェアしたアトリエを横川に構え、日々制作をしています。
食べた後の残骸(骨やパッケージなど)を再構築した立体や平面の作品を制作し、各地の展覧会に参加しています。また、自身の作家活動と並行して、展覧会や地域に密着したプロジェクトのディレクションも行なっています。
―大学時代についてお聞きします。どのような大学生活を送りましたか。
思い出に残るエピソードなどがございましたら是非教えてください。
大学に入って現代美術に出会ったことが岐路になりました。
無知だった自分に、先輩が「祐源はこういうのが好きなんじゃないの」と見せてもらったデミアン・ハーストやナム・ジュン・パイクに衝撃をうけました。何を素材に作っても良いんだ、と時の知った時のワクワクした気持ちをまだ覚えています。毎日学校に行って、制作したり研究室にある海外の貴重な画集を読んだり先輩と議論していました。現代表現では縦の繋がりが強く、世代が違う先輩と同等に制作や議論ができたことが、自分にとって新しい世界を開いてくれたきっかけとなりました。
大学院ではドイツのハノーバー専科大学に留学しました。海外に行くこと自体が初めてでしたが、広島市立大学は留学する学生が多く身近に感じていました。海外にポンと自分を放り込んだ時に、今までの保守的な自分を捨ててなりふり構わず動いた結果、良い出会いに恵まれて自信を得て帰国しました。
卒業制作『シナプス』2004
―卒業・終了作品について紹介してください。
タイトル 【 シナプス 】 制作年 【 2004 年 】
鮮やかな色をしたケーブルで臓器を模した造形を描くように制作し、各造形がケーブルで繋がり、各部の LED ライトがチカチカ光るようになっています。
マルセル・デュシャンの『大ガラス』を意識しました。
細部は絵画的な仕事でそれが複雑に接続し、機能しあうように空間に展開しています。
自己最大のスケールで作ろうとか、医療の問題を扱おうとか、制作費を惜しまないとか、とにかくいっぱい背伸びをしました。
―卒業・修了作品展の経験は、その後の制作活動や現在のお仕事にどのような影響を与えていますか。
先生と自作についてやり取りする中で、自分が何をやりたいのかとことん追いこんで絞り出して生まれたものが、今でも続いています。
ヌルい経験では何も生まれない。何日も寝ないで制作したり、段取りを失敗したり、先生や先輩に迷惑かけたことなど、どちらかと言うとネガティブな思い出が多いですが、その方が自分にとっては大きな学びとなっている気がします。
1、2 年生の頃は先輩の巨大な作品制作を手伝い、写真撮影から展示まで研究室総出でつくりあげる。クリエイティブな仕事は決して個人でつくるものだけではなく、チームでつくることで大きな成果に結びつくものだと学びました。
―卒業生として、後輩に向けてメッセージをお願いします。
全員がデザイナーやアーティストになる訳でもないですが、この 4 年ないし 6 年が、自分がやりたいことに真摯に向き合い全力で走った期間であるなら、将来に必ず何かのかたちで結実するのだと思います。
―今後の展示予定また宣伝などがございましたらご自由に記載くださいませ。
以下グループ展に参加
2016 年 2 月 “Minifesta #2” Atelie Suterena, Wien, Austria
2016 年 4 月 “かがわ・やまなみ芸術祭” 香川
以下ディレクション担当
2016 年 3 月 “手嶋勇気個展(仮)”、広島
祐源 絋史 Yuugen Hiroshi
学生時代の所属:空間造形(現 現代表現)
卒業年:2006年